患者さん向け医療情報提供サービス
慶應義塾大学病院におけるスマートフォンアプリMeDaCaの実装と展開
洪 繁(慶應義塾大学 医学部 坂口記念システム医学講座 特任教授)
2020-7-1
西村 邦裕(メディカルデータカード株式会社 代表取締役社長)
橋本 正弘(慶應義塾大学医学部放射線科学講座 特任助教)
陣崎 雅弘(慶應義塾大学 医学部 放射線科学講座 教授)
北川 雄光(慶應義塾大学 医学部 消化器一般外科学講座 教授)
医療や介護の現場において,タブレットやスマートフォンなどの利用が進んでいる。本シリーズでは,毎回,モバイルデバイスを有効活用している施設の事例を取り上げる。シリーズ第11回は, 慶應義塾大学の洪 繁氏が,同大学病院における患者向け医療情報提供サービスを紹介する。
はじめに
わが国では国民皆保険制度の下,医療機関へのフリーアクセスが保証されており,希望する医療機関を自由に選択し,診断・治療を受けることができる。この制度は国民にとっては非常にありがたい仕組みである反面,医療機関を自由に選択できるため同一症状で複数の医療機関を受診する重複受診や,ドクターショッピングのような極端な例も散見される。厚生労働省は,このような医療へのフリーアクセスの負の側面を抑制するため,多くの場合,近くのクリニックをかかりつけ医療機関にするよう勧めている。重複受診やドクターショッピングの問題についての根本的解決策は,患者さんを診療した記録を医療機関同士で共有し,1人の患者さんの診療を1つの診療録で行うことである。このような枠組みが実装できている国は世界に例がないわけではないが,少なくともわが国ではきわめてハードルが高い。
ここ10年ぐらいで個人がスマートフォンを持つようになり,常時インターネットに接続し,Webサイト閲覧や電子メール,メッセージングアプリを使ってのコミュニケーションが普通になった。一方,医療の世界では,診療録の電子化は約20年前に始まりほぼ10年前に完成したが,医療のIoT化はそれ以後あまり進んでおらず,個人が診療録電子化のメリットを受けていることはほとんどない。
患者側がメリットを享受できる医療IoT化の実例として,慶應義塾大学病院では患者さんが病院から自己医療記録のコピーを入手したり,メッセージングで呼び出しをされたりするためのスマートフォンアプリを開発し,2年ほど前から実装しているので紹介する。
デジタル・パーソナルヘルスレコード(dPHR)
米国とは違って,わが国では病院の自己医療記録を,患者さんがネットを介して外部からアクセスすることはできない。たとえアクセスできたとしても,わが国では医師の所見や診断などの診療録は,医師の著作物として個人情報保護法の対象であり,開示のためには特別な開示手続きが要求される。しかし,血液検査や尿検査などの客観的な検査結果などは,紙に印刷したものを患者さんに渡して説明することが要求されていること,処方せんや薬剤情報提供書などは患者さんに渡すことが前提になっていることから,患者さんが自己医療記録を保存・活用するパーソナルヘルスレコード(PHR)の考え方が昔から提唱されている。しかし,アナログ(紙)で医療記録をきちんと保存・整理し,しかもその情報を次の受療時にも有効活用するのは困難であり,PHRはデジタルでの保存・活用が望ましいと考えられている。しかし,わが国では,クリニックや病院などの医療機関から,患者さんが検査結果や処方情報をデジタルで入手する方法はなく,実際に運用されているPHRは存在していなかった。
慶應義塾大学病院外来への導入
慶應義塾大学医学部・病院では,2013(平成25),2014(平成26)年度に文部科学省・科学技術振興機構(JST)のセンター・オブ・イノベーションプログラム研究を受託していた際に,スマートフォンなどのデバイスを用いて一人一人の患者さんがPHRをデジタルで保存する技術の必要性を痛感し,ベンチャー企業と一緒に,患者さんが使えるスマートフォンアプリ(MeDaCa)を開発した。最初は,産科外来を実証検証の場として,妊婦健診時の超音波検査画像を病院の電子カルテからスマートフォンアプリに送信するサービスを2018年10月から開始し,2019年8月からは全診療科の外来患者を対象に,希望すれば病院の電子カルテから血液検査や尿検査の結果,処方せん控え,薬剤情報提供書控えなどの文書を送信するサービスや,外来待合・薬局での調剤完了通知をテキストメッセージングで行うサービスを開始した。
慶應義塾大学病院での運用
慶應義塾大学病院で構築したシステムを図1に示す。病院情報システム(HIS)から外部のネットワークへの接続は,HISのセキュリティ上許可されていない。そこで,外部のネットワークにセキュリティを担保しながら情報を安全に送信するための仕組みとして,HIS内部に非武装地帯(DMZ)となるAPI(Application Programming Interface)サーバを導入し,電子カルテと連携した。処方せん控えや調剤完了通知には院内調剤支援システム,血液・尿検査結果は臨床検査部の部門システム,妊婦健診の超音波検査画像は産科用電子カルテ,外来呼び出しは電子カルテの呼び出し掲示板システムに機能追加し,アプリへの送信を実現した。HISから外部に送信された情報はVPN接続によりセキュアにアマゾン ウェブサービス(AWS)社のサーバに送られるが,サーバ側にもDMZとなるサーバ領域を生成し,HISに接続するために要求されるセキュリティを担保している。情報の流れは,HIS側からサーバ側への一方通行であり,外部から内部への情報の書き込みがされない仕組みになっている。外部へ送信する情報の中でも,超音波検査画像と血液検査・尿検査結果の送信には,医師の送信アクション(図2)が必要であるが,それ以外はHISから自動で生成,送信されるため診療の手間が増加することはない。慶應義塾大学病院では,外来を受診する患者さんに院内のデジタルサイネージへの配信や外来でチラシ(図3)を配布してサービスの周知を行っている。サービス開始から約1年半経過し,現在,慶應義塾大学病院を受診中の患者さん約6000人がアプリを登録しているが,特に妊婦健診を受ける産科の患者さんは,ほぼ100%がアプリを用いてデータを受信しており,好評を得ている。サービスを改善するため,2020年度中に超音波検査の動画もスマートフォンに送信するサービスが開始される。
本アプリは,2019年度から国立病院機構東京医療センター(東京都世田谷区)産科外来でも呼び出し通知に使用されており,2020年度からは川崎市立川崎病院(神奈川県川崎市)においても,産科超音波検査画像のデジタル送信サービスが開始される。
個人開業クリニックでの運用
本サービスでは,慶應義塾大学病院のような大規模病院での実施例だけではなく,地域の開業クリニックでの実装例も増加している。クリニックでは,血液など検体を患者さんから採取すると,臨床検査ラボに送り検査を行う。運用では,検体は当日の夜間にラボで検査がされ,翌日早朝にはオンラインで検査結果を確認できるシステムが存在するが,患者さんには1〜2か月後の次回外来受診時に検査結果を紙で渡すとともに説明される。通院している患者さんの多くは高血圧や糖尿病などが多いが,生活習慣病では普段の生活が治療に重要であるものの,2か月前の採血結果を渡されても生活習慣を変えるためのインセンティブとしては非常に弱い。つまり,生活習慣病では検査直後に説明され治療介入されることが重要であるが,実際の運用の手間を考えると,検査直後に結果を渡すことはほぼ行われていない。慶應義塾大学病院で開発したスマートフォンアプリは,地域のクリニックで使えるため,現在名古屋臨床検査センター(愛知県名古屋市医師会)など日本全国の複数の広域臨床検査会社のサーバ群と接続してサービスを展開している。
臨床検査会社のサーバと医療機関,患者さんの連携方法を図4に示す。患者さんの識別のためのIDとして,診察券番号を用いて名寄せを行う。各臨床検査会社とAWS社のサーバ間は,VPNで接続し日本医師会ORCA管理機構のデータ標準フォーマット(MI_CAN)形式でデータの送受信を行う。医師は自院のPCで患者さんのデータを確認後,送信ボタンを押すことで,採血の翌早朝にはデジタルで患者さんに結果を送信できる。現在,日本全国で100施設近いクリニックが使用しており,約2万人のユーザーがアプリを使用中である。採血の翌日に結果がオンラインで見られるため,患者さんの診療満足度向上に貢献している。
今後の展望
スマートフォンアプリを使った一部の診療情報のデジタル提供サービスと,それを活用したdPHRの取り組みについて紹介した。国民のスマートフォン保有率も年々上昇し,保有年齢層の高齢化によって高齢者層においてもスマートフォン使用が普通になってきている現状を考えると,現在紙で提供しているお薬手帳や検査結果提供も,アナログからデジタルに移行するべき時期が到来したと考えられる。
(こう しげる)
1992年名古屋大学医学部卒業,99年同大学院医学系研究科修了。医学博士。2012年より慶應義塾大学医学部坂口記念システム医学講座専任講師,2016年より准教授,2020年より特任教授。2018年より同大学病院のAIホスピタル事業を担当。専門分野は生理学,再生医学,医療AI。
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